史跡・史料・史実
中原藤蔵君彰徳碑なかはらとうぞうくんしょうとくひ
「旱魃ノ厄ヲ蒙ル事屡ナリ君常ニ之ヲ憂フ偶明治天皇北陸巡幸六十周年ニ際シ君記念事業ヲ揀擇シテ佐潟浚渫の良策ヲ得タリ 即チ東畔ニ間知ヲ築キ砂防ニ備ヘ浚渫ヲ續行シテ水量ノ増益ヲ計リ而シテ得タル水蔡泥土ハ之ヲ自給肥料ニ充テ農家經濟ニ資セントス 正ニ一石二鳥ノ名案タリ」(石碑記載一部抜粋)
このように石碑には佐潟の浚渫に関する記載がある。中原藤蔵は、江戸後期、乳の潟の新田開発を行った人物で、完成した新田は、中原藤蔵にちなんで「藤蔵新田」と呼ばれるようになった。
“